平安時代の日本庭園はどんな庭園ですか?                =日本の美を極めた平安時代の日本庭園の魅力と歴史=

 日本庭園は、美しさと平和を結びつける芸術の極致です。その中でも、平安時代の日本庭園は特に魅力的でした。この時代、庭園は貴族たちの高貴な趣味として発展し、美の追求に没頭しました。その結果、日本庭園は神秘的で、バランスの取れた配慮がされた庭園として知られるようになりました。

 平安時代の日本庭園は、風景と建築との一体感を追求しました。庭園の魅力は、風景の美しさだけでなく、庭園全体のデザインや配置にもあります。流れる水、美しい橋、石の配置など、細部にまでこだわりが見て取れます。これらの要素は、自然と人間が調和することを表現しており、その美しさは現代の庭園にも大きな影響を与えています。 
 
 平安時代の日本庭園は、大きく分けて中期頃と末期頃に全く違う意味合い庭園となったといえます。優雅な平安時代に日本庭園はどのように移り変わってきたのか、そして貴族たちはどのように庭園を活用し、どのような願いがあったのでしょうか。平安時代の日本庭園についてみ詳しく見ていきましょう。

平安時代の日本庭園の歴史

 794年に平安京への遷都とともに本格的な日本庭園の歴史は始まりました。貴族たちは美の追求に情熱を傾け、庭園は彼らの趣味として発展していきました。
 平安時代中期頃からの寝殿造の発達は、貴族たちの洗練された美意識を生みました。
 そして日本庭園は、貴族の屋敷や寺院などに造られました。これらの庭園は、自然の風景を取り入れつつ、建築物と調和させることを目指しました。庭園のデザインは、当時の文化や美意識に基づいて行われました。寝殿前には白砂が敷かれ、儀式や行事が行われる広場となっており、舞台が設けられて舞踊を鑑賞したり、蹴鞠に興じたりと多目的に用いられました。
 南側には広大な池がつくられ、貴族たちはそこに龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ:船頭に龍と鷁という水鳥を飾った舟)を浮かべて舟遊し、詩歌管弦の宴を催しました。また、水源より池に流れ込む遣水はくねくねと曲がって流れており、その流れを利用して曲水の宴が催されました。
 曲水の宴とは、流水に盃を浮かべ、流れ着くまでに歌題にちなんだ和歌を詠み、盃のお神酒をいただく行事です。このように、平安時代中期の日本庭園である寝殿造りの庭は、大自然の景を描いた庭園であり、貴族の優雅な暮らしと一体となった重要な場所であったのです。

 しかし、平安時代後期になると、貴族たちの優雅な時代は終わりを迎えます。この頃の世の中は各地で僧侶が僧兵となって戦い、殺し合うという戦乱が続きます。このような時代を末法の世といい、仏典には仏法を開いた釈迦がなくなって1000年後に訪れると伝えられていました。
 末法の世では、世が乱れて清らかなあの世へ往生できなくなり、汚れた地獄へ落ちるか、自縛霊となってこの世をさまようと信じられていました。日本は仏教国です。6世紀に大陸から仏教が伝わると、貴族を中心に広く信仰を集めました。ちょうど、釈迦がなくなって1000年とは平安後期の1052年が末法の元年とされていました。戦乱の世の訪れが、その時期と重なったこともあって、平安後期の貴族は、競ってあの世である極楽浄土へ往生ができるよう祈ったのです。
 教えによると、末法の世において極楽浄土へ往生するには、生前に極楽浄土を鮮明に脳裏にイメージする観想とよばれる方法しかありませんでした。しかし、戦乱の時代に煌びやかな極楽浄土の世界をイメージするのは、そう簡単ではありませんでした。そこで、あの世を描いた当麻曼荼羅をもとに、実物の極楽浄土を造って、イメージすることにしたのです。そうして建設されたのが、平等院鳳凰堂でした。
 そして、平等院鳳凰堂の前には、池を境にしてこの世とあの世をイメージした池泉が造られたのです。この庭園を浄土式庭園といい、全国各地に造られました。 平安後期の日本庭園である浄土式庭園は、貴族たちが乱れた乱世の世の中から極楽浄土への往生を願った、祈りの庭園であったのです。

平安時代の日本庭園の特徴

平安時代の日本庭園は、独自の特徴を持っています。以下にその特徴をいくつか紹介します。

  • 風景と建築物の一体化:平安中期の日本庭園では、風景と建築物を一体化させることが重視されました。建物や庭園が調和しており、自然との一体感を感じることができます。
  • 水の利用:日本庭園では、水は重要な要素です。平安時代の日本庭園では、流れる水や池を活用し、風景に奥行きと動きを与えることがされました。
  • 石の配置:石は、日本庭園において重要な要素です。平安時代の日本庭園では、石の配置に細心の注意が払われました。石は風景にアクセントを与えるだけでなく、風水的な意味合いも持っていました。
  • 植物の使い方:日本庭園では、植物も重要な要素です。平安時代の日本庭園では、季節ごとに異なる植物を配置することが行われました。これによって、季節の移り変わりを感じることができます。

平安時代の日本庭園は、これらの特徴を持つ美しい庭園として知られています。

平安時代の典型的な日本庭園

平安時代に造られた日本庭園には、いくつかの典型的なスタイルがあります。以下にその一部を紹介します。

  • 平等院庭園(京都府):鳳凰堂やそれを取り囲む阿字池、また宇治川や対岸の山々が一体となり形成され、当時の貴族たちが希求した極楽浄土の光景を再現しています。平安時代に完成した最古の浄土式庭園であることから、国も史跡および名勝に指定されました。
  • 毛越寺庭園(岩手県):毛越寺では北に塔山と呼ばれる小山を背景として、広々とした苑地美観が展開します。大泉が池は浄水をたたえ、その周辺には、州浜、荒磯風の水分け、浪返しにあたる立石、枯山水風の築山といった石組みや、池に水を引き入れる遣水など、自然の景観が表されています。日本最古の作庭書「作庭記」の思想や技法を今に伝える貴重な庭園として、800有余年を経た現在も、四囲の樹木の景観と相まって、なお変わらぬ美しさを見せています。

これらの庭園は、平安時代後期の浄土式庭園を示しています。

平安時代の日本庭園の文化的な意義

平安時代の日本庭園は、日本の文化において重要な役割を果たしてきました。以下にその文化的な意義をいくつか紹介します。

  • 美意識の表現:平安時代中期の日本庭園は、当時の美意識を表現する場でした。庭園のデザインや配置は、当時の文化や美の理念に基づいて行われました。
  • 貴族の趣味と娯楽:平安時代中期の日本庭園は、貴族の間で非常に人気がありました。庭園は、貴族の趣味や娯楽の場として重要な存在でした。
  • 宗教的な意味合い:平安時代後期の日本庭園は、宗教的な意味合いを持っていました。庭園は、極楽浄土往生への願いが込められていました。

平安時代の日本庭園は、これらの文化的な意義を持ちながら、美しい庭園として栄えました。

まとめ

 平安時代の日本庭園は、その美しさと歴史的な意義から、今もなお多くの人々を魅了しています。庭園のデザインや配置は、風景と建築物の一体化を追求し、自然との調和を表現しています。
 平安時代の日本庭園は、日本の文化や美意識を反映したものであり、その美しさは現代の日本庭園にも引き継がれています。平安時代の庭園を訪れることで、その美しさと歴史を感じることができます。
 日本庭園は、美と平和を融合させた芸術の究極の形です。平安時代の日本庭園は、その美と魅力が最も高まった時代であり、日本文化の一つとして誇りに思うべきものです。是非、平安時代の日本庭園の魅力と歴史に触れてみてください。


【参考文献】
田中昭三.よくわかる日本庭園の見方.JTBパブリッシング.2007
宮元健次.日本庭園鑑賞のポイント55.メイツ出版株式会社.2010
宇田川辰彦,堀内正樹.図解日本庭園の見方・楽しみ方.一般社団法人家の光協会.2015

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